遊びとは、そもそもどのような特徴をもった活動を指すのでしょうか。考えてみれば大変難しい問題であり、カイヨワやホイジンガ(J. Huizinga)をはじめ多くの研究者によって遊びに関する考察がなされています。ここではカイヨワの考察に関連して、遊びという活動について彼が分類した6つの定義を紹介しましょう。
1.自由な活動である
強制されないこと。強制されると、魅力的で愉快な楽しみという性質を即座に失ってしまう。
2.隔離された活動である
あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲の中に制限される。
3.未確定の活動である
展開が予め決定されていたり先に結果が分かっていたりしてはならない。
4.非生産的活動である
財産も富も、いかなる種類の新たな要素もつくり出さない。
5.規則のある活動である
約束事に従う活動である。この約束事は通常の法規に縛られるものでなく、一時的に新しい規則が生まれる。
6.虚構の活動である
非現実的であるという明白な意識を伴う。
(カイヨワ/多田道太郎・塚崎幹夫訳「遊びと人間」講談社より 一部改変)
この他にも、たとえばエリス(M. J. Ellis)は、自らの著書(邦訳「人間はなぜ遊ぶか」黎明書房 2000年)の中で、遊びに関して、古典理論、近代理論、現代理論に分けて13の理論を紹介しています。このように遊びは多くの研究者の知的好奇心を刺激する興味深いテーマでもあります。
機械や工作の世界にも遊びの概念は採り入れられています。たとえば、クルマのハンドルに見られる「遊び」は、操作のゆとりです。この遊びがない場合は、ドライバーのほんの僅かなハンドル操作でクルマが蛇行してしまいます。ブレーキペダルもしかりです。また、鉄道のレールのつなぎ目にも、気温によるレールの伸び縮みを計算に入れた遊びが設けられています。つまり、遊びは、そのものが本来の力や効果を発揮するために必要なメカニズムの一つであるということです。
人の活動にも同様に遊びが必要です。特に人の場合には、「遊ぶ」という動詞形に見られるように、自らが面白いと感じて取り組むことで、ゆとりや充足感を得ることが可能になります。自らが面白いと感じることは、さらなる好奇心を生み探索的な行動につながります。その意味では、遊びは内発的モチベーションによって生み出されるものといえます。
仕事そのものに面白さを見つけ出すこと、あるいは仕事の進め方に面白さを自分で付加してみることが、すなわち仕事に「遊び」を組み込むことであり、仕事のゲーム化(ゲーミフィケーション)ということなのです。